2005年9月24日
アカペラ
文化センターに行った時に後輩のバンドが歌ってるのを見たけど
アカペラってはたから見るとこんなに楽しそうだったんだね
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楽しそうに見えるということはそれだけ魅力的に映ったということ。
自分たちが歌える喜びを存分に楽しんで欲しいなーと思いましたw
自分たちにとって歌うという行為が何を意味するのかを。
アカペラを辞めてからもうちょっとで2ヶ月か。
自分にとってアカペラは結局
仲間を作るための行為と人を楽しませる行為だったと思う。
それが最高に楽しい瞬間だった
楽しい瞬間こそ忘れてはいけないのは
そこにいる仲間の存在であって
こいつらがいなかったらそんな楽しい瞬間は無かった。
歌は結局自分の気持ちを表に出すツールで
"人の集まり"を"仲間"に変えるために必要なものだった。
今、"人が集まって盛り上がること"とかについていろいろ研究してるけど
最近の自分の流行は
「若者のぷちナショナリズムや遊戯的な感覚でのナショナリズム」とか。
ワールドカップとかで見せる若者の出す一体感の話なんだけど
まあめんどくさい説明は抜きにして
集まって盛り上がるためには
自分たちがアイデンティティを感じられるようなものがあると良いみたい。
ワールドカップで言うなら自分たちは日本人だ!日本いい!みたいな何かが。
これがアカペラにも言えるんじゃないかなって思う。
歌は自分たちが仲間になるための言語であり、道具であり、手段であると思う。
声を重ねることさえ出来れば
そこには自分たちの空間が出来
人間が仲間に変わっていく。
歌が手段であると言ったのにも理由がある。
アカペラが"何かをするための方法"であって欲しいと思う。
自分たちが歌うことだけに価値を見出すのではなく
歌を目標にするのではなく
それを使って出来ることの可能性に是非目を向けて欲しい
そう考えると
ハモることが目標ではないはず。
歌を通して仲間を作ること
人々を感動させること
自分たちが感動すること
人の笑顔を増やすこと
誰かの痛みを癒すこととかね。
そこに自分の想いがある限り
想いが目標であり、歌が手段になる。
その時の自分の想いと、仲間たちが作る可能性を大事にして欲しい。
最後の最後までお客さんを楽しませることを考えた奴らがいた。
楽しませることに悩み苦しんだ、僕はそいつらが仲間だったと思っている。
歌を口ずさむ時にその瞬間に、いろんな可能性が見えたんだ。
歌が自分の想いをかなえる道具になり
その想いを叶えることが出来るとしたら
それほど幸せなことはないだろう。
長くなってはしまったし
まとまりのない良くわかんない文章だけど
僕が2年半やったアカペラというものを自分の言葉で分析してみた。
さっそく歌いたくなってカラオケに行きましたよ
ねっ。